いま想定してるのは一部の妖怪について。

花札の妖怪ウグイス(見た目や行動がメジロで声が鶯、という鵺の同類みたいな妖怪です)や妖怪ツル(コウの鳥を日本語ではツルと呼んだのが元っぽいツルハシ=ツルのクチバシのほうのツルで、現在のゴミ集積場の柔らかく汚れやすい所を好み汚れても平気で羽ばたけるパワフルな方じゃなく、固まった大地等を突付いても問題無い固く鋭いコウノトリ)のほうが本来の日本の妖怪っぽいけど、宗教由来の象徴を流用した表現のほう、元祖地獄らしい餓鬼の本来の仏教上の意味に当たるイギリス型老害である児啼爺(トールキンのエルフの元ネタの多血質とか吐き気を催す妄想と現実のギャップ、二大汚染源の遅延型または魔の名の由来の他者行為による流れの開始への差し戻し、功名の盗用と賞罰の押し付けといった、イギリス亜型=嫌悪特性擬人化)の方を。

ギリギリアウトの難易度から始めよう(?

速過ぎて付いて行けないという状況から、そのうち慣れて自在に動ける様になるまで、何が起きるか。柔軟性やコストや継続成長性といった他の評価点で劣っていても速さだけは優れた生命の特定部分は、他では付いて行けない速さに出会って初めて目覚め「直ぐ寝てしまう」。眠りが浅い内に再び起こし、他の(速さ以外が優れた)部分と連携して活動する様になると、「より多くの割合の自分自身の部分」が「速さに適応」し、安定性や余力が増していく。質的にやれることが拡がり、自由選択肢が増えて、「迷うことが出来る程に優れた此の場に在る者」になって、「迷う程の選択肢が有る前提で取捨選択のそれぞれの功罪や得意不得意を比較で示せる意味で『【貴方にとっての】正解に必要な情報』が必要になる」遥か後の話でも、最初に触れておくと良い。

実在の動物とは関係、あるな人間も動物だ

チェシャ猫(モンスターとしての=元ネタとしての白虎)、デッドコピーキャットアメリカ合衆国、の本体は(非常に実質的サイズが小さい=冗長な)デッドリンク、朽縄《くちなわ》、ユダヤ教聖書の創成期の蛇の主な元ネタ、だが、其の活動の大部分(「見える」振る舞い)はデッドコピーのもので、デッドコピーにはコピー元の生命活動実例にあった固有自律価値判断のインバランス、好悪等の偏り、例えば端的にはサブタイプ(亜型)分類への分化が起きないので、現存イスラエルにはユダヤ教聖書の民族サブタイプへの分化がなく、十二支の丑(紐)=十二宮の獅子(毛、獣の体毛)の段階の大分類の型分類(タイプ)が同じ別の小分類(サブタイプ)であるインド(のアグニ、バラモン教)亜型由来や欧州等の古来の主神ドンナー亜型由来が混在する。

人間による人間の内的生命活動の構成部品の分析の試み、または古代から続く無数の失敗の残骸の『罪重ね(風評加害的な意味で)』

生命(精神心理)世界内のモノは人を成す部品で、擬人化しやすいが人ではない。仏教では日本漫画の元になった【カースト(インドの言葉でジャーティのことで、『生まれ(育ち等に対比して)』)】の枠組からフリーになった人間としての擬人化動物で描く試みをプレ仏教から引き継いだが、動物自体が魅力的過ぎて断念している(最初期漢字とは別起源なので地域性も発想も違うが漢民族の漢字本格採用よりは古いらしい十二支対応動物や、主に西洋版の占星術で知られる十二獣宮《ゾディアック》が其の残骸で、十如是として紹介された欠陥が後者にあり前者にある欠陥と関連はあるが体系的に違うので、前者はギリシャルートである文殊=虚空会象徴ではないが起源または主要伝達経路が一部共通であり、現実の動物への風評被害の内容に被りがある)。